2012年11月03日

売太神社古事記輪読会ツアー 参加レポート

売太神社古事記輪読会ツアー
倭建命終焉の地 長瀬神社〜熱田神宮

売太神社さんの輪読会を主催されているオペラ歌手
鈴木先生のご提案で、10月10日10時10分に
倭建命終焉の地で、古事記の輪読、歌の奉納をしました。

鈴木先生が初めて長瀬神社にご縁を持たれたのが、
平成10年10月10日。長瀬神社からのご依頼で
倭建命の語り部、歌、を奉納されたことが始まりでした。

10月10日7時半、売太神社を出発。
輪読会総勢30名を乗せたバスは一路、長瀬神社へ。
車内では、早速、倭建命に奉納 する歌の練習。
「海処行けば」「なづきの田の」「浜つ千鳥」「浅小竹原」他、
売太神社宮司様の奥様のリードで熱唱しました。

10時前 長瀬神社到着。
一面、茶畑が広がるのどかな地に、その神社はありました。

倭建命は、征の帰途病みつかれて三重村を通り、
能煩野にお着きになって、死を前にし、国偲の歌三首を
お歌いになった… 古事記より

雨の中、拝殿へ。正式参拝後、宮司さんのお話。

倭建命が葬られた「能煩野(のぼの)」の墓は、10世紀初めに成立した
「延喜式」の諸御陵に、天皇陵などと並んで、都から離れた
「遠墓」として、能煩野墓日本武尊と記されていること。

境内には、武備塚(倭建命のお墓と伝えられる)を始めとする
古墳群があり、倭建命の最期を物語る遺跡があること。

享保の時代、亀山藩は、武備塚を倭建命の陵として初めて
公に認めたこと。

これらのお話はとても興味深く、ここが、かの地であると言われる
所以だと納得できました。

その後、鈴木先生の語り部、歌、そして参加者全員で古事記輪読。
奉納が終わると、外は晴天に!!

境内に出て、武備塚(倭建命のお墓)前で最後の歌を奉納。

歌の途中で先生が、「ちょっと、やめて下さい、風が、、、、」と、
言いかけると、突然、風がびゅーと吹き、雨がパラパラーっと
降ってきました。
ほんの一瞬でした。

鈴木先生が『倭建命様がお応え下さったのでしょうか』と、
言われ、私達も驚きました。

鈴木先生のお話では、平成10年の時も、ご奉納する直前に
空に、大きな日輪の虹が見られた、とのことでした。

倭建命のお応え?に一同驚きながら、バスは熱田神宮へ。

熱田神宮は、都会にありながらも、一歩境内へ入ると、
樹齢千年級の巨木が生える静寂の杜です。

そして、来年は、創祀1900年の記念の年で、その記念の年を
真新しい御社殿でお迎えするために、平成21年には御社殿 の建替えが
終了しました。
すべてが新しく、とても清々しい気が流れていました。

神職の方に導かれ、特別に御垣内での正式参拝と、御垣内で
古事記の輪読。
その後、神職の方が、境内をご案内下さいました。

熱田神宮の創祀は、倭建命の死後、お妃である宮簀媛命が、
三種の神器の一つの草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を
熱田の地にお祀りになられたことからといわれます。
ご祭神の熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣を
御霊代としてよせられる天照大神のことです。
伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめて
います。

駆け足でしたが、倭建命終焉の地ー草薙神剣を祀る神宮をめぐり、
倭建命の功績と、悲劇を思いました。

もう一度、古事記を読み直し、多くの日本人に古事記、倭建命を
知って欲しいと思いました。
この素晴らしく奥深い書物、古事記は、何度も読むほどに
新たな感動があります。

古事記を読んで、その舞台を訪れ、登場人物の心情に思いを馳せる
ことで、ますます古事記に親しみが増すのではないかと思います。

この素晴らしい機会を下さった鈴木先生と、売太神社様、そして、
ご一緒させて頂きました輪読会の皆様に感謝しております。

お読み頂きありがとうございました。
感謝☆諸野幸子
posted by さちみたま at 16:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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